立命館大学映画部 ブログ版

立命館大学映画部のブログです。 基本的に更新、交流などはこっちで行う予定です。

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無題

はて、最後にブログを書いたのはいつだったか覚えておりません。一応前のものを確認すると、7月25日分(第38回)で止まっているので、8、9月は見事に一度もブログを書かなかったことになっている。
ついに”連載”にならなかったということですね。はい。まあ、キリがいいので”休止”していたということにしておきましょうか。そうすれば一応”連載”になりますしね。そういうわけで、今回は日曜の第39回目として一応書いていこうかな。気が向いたら(気力があったら)おいおい8、9月分も書いていこう。

 のほほんと過ごしていた夏休み前半(8月)もすぐ終わり、カメラを回し続けた後半(9月)も多忙の中あっという間に過ぎ去り(そしてまだクランクアップしていないという一種のヤバさ。)、10月に入っているという今この時。充実していたといえばいつになく充実していた夏休みが終わってしまったわけです。気付くとはや就職活動の時期になっている。そしてもうすぐ新人上映会もやってくる。時のたつのは早いのぉ。


本題。
今回は「リオ・ブラボー」という有名な西部劇を取り上げてみようかと思う。
監督はハワード・ホークス、主演はジョン・ウェインのコンビ。
話的には「西部劇」の基本がすべてそろっているといえる一作です。主演はもちろんJ・ウェイン(そして町の保安官役)、悪役は町を荒らす兄弟2人、保安官の助手には飲んだくれ、気難しいじいさん、そして若手の新人の3人。そして駅馬車を待つ女性も出てきて、文句なしのつくりになっています。ここまでそろっている作品はほかに思い浮かばないなあ。

話は西部劇としてお決まりな感じはあるが、それ以外の部分は変わったつくりをしている。特に目に付いた点を書いていこうと思う。
まずオープニングに音楽や歌がない。「荒野の用心棒」のようなマカロニウエスタンを代表するE・モリコーネの曲、「荒野の七人」のE・バーンスタインの音楽のように、映画の始まりを盛り上げる音楽が排除されている。たんに映像と効果音しかないところが以外。逆にいえば、盛り上がりに欠けるといってもいいかもしれない。しかも、始まりの5~6分は会話さえ一切ない。こういった作りは今まで見たことがなくて興味深い。
で、本編中に音楽はかかるものの、比較的音の小さい陽気な音楽がかかる。しかもJ・ウェインが町を見回ったりするようなところでかかるので、こういった演出も他に見たことがない。
そして音楽らしい音楽は映画の真ん中あたりでようやく出てくる。悪役側が夜に楽器で何かの音楽を吹いていると、J・ウェインが相方に「あの音楽は何なんだ?」と聞く。相方曰く、『皆殺しの唄』という名の曲だという。相手方は保安官たちに対して容赦はしない、ということの表れとして音楽が出てくる。なかなか面白い。そしてそのあと、J・ウェイン側も「あの娘(こ)の待つ谷へ帰ろう~♪」といったかんじの歌を歌う。西部劇で登場人物がふとしたきっかけで歌を歌いだす演出は、西部劇としても、H・ホークスの映画としても他に見たことがない。しかも意外と長いこのシーン。歌うシーンが長い点も、西部劇では見たことがないので興味深い。

音楽だけでなく、撮り方(アングルと言った方が正しいかも)や、カットつなぎが変わっているなあと感じた点もいくつかあった。それらは省略することにする。

今回西部劇を見ていて、改めて映像に”ピンボケ”が使われていないことに目がいった。
(個人的なかんじでは)昔の映画には顔のアップが少ない。あるとしてもせいぜいバストぐらいだが、西部劇にもバスとぐらいよるカットももちろんある。そうしたカットを撮るとき、人物に目がいくように後ろの背景を(望遠などを使って)ぼかしたりすることがあるが、西部劇ではこういった演出があまりない。いや、単に自分が気付かなかっただけか?いずれにせよ、西部劇ではあまり見かけない。


はい、今回はここまで。
今回は物語についてではなく、演出(?)的な観点から映画を見てみました。まあ、カメラやレンズの特性もわかっていなければ、編集技術もないのに色々書きましたが、よしとしよう。

今日はここまで。では、さいなら~
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